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1. クロスのことも知らなかった
池田さんは最初から内装職人を目指していたわけではない。
学校を卒業後、水道屋さんへ就職した。
その後会社を辞め、アルバイトで生活をつないでいた時期があったという。
そんな時だった。
知り合いの知り合いだった内装職人から声を掛けられた。
「お前やってみる?」
池田さんは答えた。
「じゃあ行きます」
それが内装業界へ入ったきっかけだった。
「クロスのことも何も知らなかったです」
そう笑う。
2. 「この仕事で一生、生きていくのか」
池田さんは自分のことを負けず嫌いではないと言う。
もちろん職人として周りよりできるようになりたいという気持ちはあった。
しかし、どこかモヤモヤも抱えていた。
「この仕事で一生、生きていくのかな」
現場でビニールクロスを貼る毎日。
それが悪いわけではない。
しかし、その先に何があるのかは見えていなかった。
3. 「そんな世界があるんですか」
転機になったのは、現代の名工・黄綬褒章受章者である飯島勇さんとの出会いだった。
出雲で開かれた講習会。
そこで初めて聞く言葉が次々に出てきた。
一級技能士。
技能グランプリ。
現代の名工。
黄綬褒章。
飯島さんは参加者に問いかけた。
「一級技能士持っている人いますか?」
さらに、
「弟子が技能グランプリで銅賞を取った」
という話もした。
しかし続けて、
「銅賞じゃダメなんだよ」
とも言った。
池田さんは技能グランプリという存在すら知らなかった。
職人が日本一を競う大会がある。
そんな世界があることに驚いたという。
さらに飯島さんは、自身が携わった仕事も紹介した。
総理官邸。
国会議事堂。
見たこともない材料。
聞いたこともない施工。
「これどうやって貼ったんだ?」
純粋に興味が湧いた。
それまでの池田さんが知っていた内装工事はビニールクロスだった。
しかし、その先には文化財もあれば歴史的建築物もある。
内装という仕事の広さを初めて知った。
講習会終了後、多くの職人は帰っていった。
「東京から来て偉そうなこと言いやがって」
そんな声もあったという。
しかし池田さんは帰れなかった。
飯島さんのところへ行き、
「もう一回見せてもらっていいですか」
と声を掛けた。
家に帰ると奥さんに言った。
「東京行くわ」
当然怒られた。
「行けなかったですけどね」
そう笑う。
ただ、その日から目標ができた。
4. 一級技能士を取っても納得できなかった
まずは一級技能士を取ろう。
そう思った。
そして取得した。
ところが取得した瞬間、新しい疑問が生まれた。
「全然わからないんですよ」
袋貼り。
和紙。
布。
刷毛。
喰い裂き。
試験課題は練習した。
だから受かった。
しかし、
「なんで喰い裂きするのかも分からない」
「刷毛もその時初めて持った」
という状態だった。
それで一級技能士を名乗る。
池田さんは納得できなかった。
「それが許せなかったんですよ」
そして組合へ行った。
「もう一回勉強してやりたいんで、もう一回受けていいですか」
合格した人が言う言葉ではない。
しかし、それくらい理解できていない自分に違和感があった。
5. 表具という底知れない世界
壁装の原点は表具にある。
そう考えた池田さんは地元の表具屋さんを回り始めた。
刷毛を見せてもらう。
道具を見せてもらう。
話を聞く。
すると少しずつ分からなかったことがつながり始めた。
「みんな教えてくれました」
今でも毎月通い、掛軸づくりを続けているという。
そして気付いた。
「勝てないなと思いました」
紙。
糊。
湿気。
乾燥。
材料の変化。
表具の世界にはビニールクロス施工とは違う知識があった。
そして壁装の原点もそこにあった。
6. 技能グランプリに出たい
飯島さんから見せてもらった世界。
そこへ行きたいと思った。
次の目標は技能グランプリだった。
しかし島根には経験者がいない。
何から始めればいいのか分からない。
そんな時、広島の職人・倉迫貴裕さんのブログを見つけた。
そこには
「技能グランプリ銀賞」
と書かれていた。
「この人だなと思ったんです」
池田さんは思いを文章にまとめ、直接連絡を取った。
そして広島へ向かった。
7. 倉迫さんとの出会い
倉迫さんは歓迎してくれた。
その日は泊まっていったという。
そこで池田さんは技術だけでなく考え方にも触れることになる。
倉迫さん自身も、
「業界を変えたい」
「職人の意識を変えたい」
という思いを持っていた。
中国地区に技能士会を作ろう。
そんな話もしていたという。
池田さんも共感した。
その後、中国地区技能士会の立ち上げにも関わることになる。
8. 出雲Tシャツで挑んだ中国大会
第一回中国地区壁装競技大会。
池田さんは島根から一人で出場した。
その時着ていたのが「出雲」と書かれたTシャツだった。
ちょうど出雲大社の改修工事が話題になっていた頃だった。
会場には全国の技能士会メンバーも来ていた。
「出雲から来たのか」
そう声を掛けられたという。
本人は、
「出雲から来ました。よろしくお願いします」
という気持ちだったと振り返る。
結果は優勝。その経験が全国の職人とのつながりや次の挑戦につながっていく。
9. 一人で挑んだ技能グランプリ
技能グランプリには三度挑戦した。
島根県からの出場はいつも池田さん一人だった。
他県を見ると応援団がいる。
練習を手伝う仲間がいる。
経験者もいる。
しかし池田さんには頼れる先輩や経験者が身近にいなかった。
それでも会場へ足を運んだ。
すると他県の職人たちが声を掛けてくれた。
「池田くん、いつも一人やな」
そう言いながら手伝ってくれたり、アドバイスをくれたりしたという。
「そうやってやってる人間には、いろんなものが寄ってくるんですよ」
池田さんはそう振り返る。
そうした挑戦の中で、全国の職人とのつながりも広がっていった。
東京や関東大会へも足を運んだ。
飯島さんに話しかけた。
その時、
「あいつ見ておけ」
と紹介されたのが群馬の内田さんだった。
出会いが次の出会いを呼んでいった。
10. 表具一級技能士への挑戦
池田さんは表具一級技能士も取得した。
しかしそこまでの道のりは簡単ではなかった。
広島の表具組合に所属し、受験に挑んだ。
事前練習会。
そこは別世界だった。
「何しとんじゃお前!」
怒鳴られる。
怖かったという。
技能グランプリ金賞を受賞し、多くの実績を積んでいた頃だった。
しかし、そんなことは関係ない。
一人の受験者として厳しく指導された。
池田さんは言う。
「あれが職人なんだと思いました」
今の時代には厳しすぎると言われるかもしれない。
それでも、
「優しいだけでは職人は育たない」
と語る。
本番が終わる。
すると今度は、
「ようやったのう」
と声を掛けられた。
「最高じゃないですか」
そう語る表情が印象的だった。
11. 恩は若い世代へ返せ
取材の中で最も印象に残った話だった。
池田さんは飯島さんにも、倉迫さんにも言った。
「恩返しがしたいんです」
すると二人とも同じようなことを言ったという。
「その恩は俺らに返すな」
「若い人に返しなさい」
別々に聞いたのに、返ってきた答えは同じだった。
池田さんは今、工業高校でクロス施工体験の講師も務めている。
若い職人に同じ道を歩めとは言わない。
ただ、
「こういう世界もある」
「こういう目標もある」
ということは見せられる。
「それが究極の技能伝承なのかもしれないですね」
そう語った。
12. 次の目標
取材前、私は池田さんに対して、
ストイックで行動力があり、エネルギッシュな職人という印象を持っていた。
しかし実際は少し違った。
「緊張もしますよ」
「しょっちゅう腐ってます」
そう笑う。
悩む。
迷う。
失敗も多い。
ただ、そこで止まらない。
現在、一級技能士を五種取得。
残るはカーペット系床仕上げ工事作業のみ。
「あと一個なんですよ」
そう言って笑う。
そして、その先に見据えているのが黄綬褒章だ。
昔から作り続けているファイルがある。
現場写真。
活動記録。
受賞歴。
その表紙にはこう書かれている。
「黄綬褒章」
「行きたいじゃなくて、行く予定です」
そう言い切る姿が印象的だった。
しかし取材を終える頃には、不思議と本当にそうなるような気がしていた。
飯島さんから目標をもらった池田さんが、今度は次の世代へ目標を渡そうとしている。
そんな取材だった。